母は「私、そんなに長生きしなくていいのよ」っていう。
母は自分の母親を(つまり私の実の祖母)を私を生む前に亡くしている。
もう、自分は母親より長生きしているんだと。
母のことが大好きな私は、「それってかっこいい!」
と、思っていた。ほどほどに生きて、迷惑をかけない程度で死ぬ。
ああ、なんだか理想だなあって。
でも、最近は世話がかかっても生きていたいなら
長生きでもいいじゃないかって、そう思う。
みっともないかもしれないけど。
生きてることなんてみっともないことなんだから、なんてことない。
生きてることは美しいことでしょ?
私は長生きしたい。
生きていたい理由はいっぱいある
美味しい物が食べたい
美しい景色が見たい
人と話したい触れ合いたい
子の幸せな顔がみたい
孫の顔が見たい
欲望だらけ?
そんなことがなくたって
ただ生きていたい、そういうことだってあるだろう。
ただ生きていて欲しい、そういうことだってあるだろう。
そして、いろんな思いをよそに
ある時ふっと命の灯火が消える。
ただそれだけ
2012年12月28日金曜日
きちんと食べる。
最近気づいたことがひとつ。
台所に立って、食事を作っているとほっとする。
きちんと食べたら、ほっとする。
そういうあたり前のこと。
オットさんが突然、腰痛で動けなくなって入院してしまった。
ウタを大阪の実家において、タマと沖縄へ帰った。
タマは殆ど食べないし
オットさんも病院食だし
ウタは大阪だし
で、自分の食事がすごくおろそかになっていた。
一人分を3食作るのがめんどうでめんどうでめんどうで
ほんとうにめんどうで
どうしても台所に立つ気にならなかった。
一人暮らしの時でも料理は好きだし
まめに3食作っていたから
まさか、食いしん坊のじぶんがこんなに食事について
めんどうになるなんて思わなかった。
さみしさに襲われると
自分のこと大切にできなくなるんだなあ。
私にとって、きちんと食べることは
心のバロメーターなのです。
まだ、めんどうな気持ちは抜け切らないけれど
ちょっとずつでもいいから
自分のために、きちんと食べる。
台所に立って、食事を作っているとほっとする。
きちんと食べたら、ほっとする。
そういうあたり前のこと。
オットさんが突然、腰痛で動けなくなって入院してしまった。
ウタを大阪の実家において、タマと沖縄へ帰った。
タマは殆ど食べないし
オットさんも病院食だし
ウタは大阪だし
で、自分の食事がすごくおろそかになっていた。
一人分を3食作るのがめんどうでめんどうでめんどうで
ほんとうにめんどうで
どうしても台所に立つ気にならなかった。
一人暮らしの時でも料理は好きだし
まめに3食作っていたから
まさか、食いしん坊のじぶんがこんなに食事について
めんどうになるなんて思わなかった。
さみしさに襲われると
自分のこと大切にできなくなるんだなあ。
私にとって、きちんと食べることは
心のバロメーターなのです。
まだ、めんどうな気持ちは抜け切らないけれど
ちょっとずつでもいいから
自分のために、きちんと食べる。
2012年11月24日土曜日
母は思います。
お布団で一緒に眠っていると
タマもウタも私にどんどんひっついてきてくれる。
私のお腹から出てきたというだけで
私がどんな人だろうと
私に絶対の信頼をおいてくれる
私を大好きでいてくれる優しい人たち
私、こんなに愛されていいんだろうか
とどうしたらいいのかわからないような
責任を感じたり、それ以上の喜びを感じたり
でも、私の役目は
この絶対の信頼から
こどもたちを解き放つことなんだな
と、思ったりもする。
私をただの弱い、普通の、
妬みやそねみ、優しさや、意地悪さ
浅はかさや、傲慢さ、あなた達への愛
そんなものを持った
一人の人間なんだ、と
わかってもらえる時が来たら
きっと私は母としての役目を
果たしてるのかもしれないな。
それでも、好きでいてくれたら
2012年11月18日日曜日
私の知らない私の記念日
4年前の今日は助産師になって初めてお産をとらせてもらった日でした。
この日を覚えていてくれたのは、なぜかオットさん(笑)
でっかいプリンが2つも届いて
中に入っていたメッセージを読むと同時に
4年前の今日の日の記憶が
涙とともにブワーッと押し寄せてきました。
助産師の仕事は決してお産をとるだけではないけれど
お産に対する思いはやっぱり特別。
そんな特別な日を
私以外の誰かが記憶してくれていたなんてびっくりしました。
そういえばあの日、遅くに帰ってきた私を待っていてくれたのも
一緒に喜んでくれたのもオットさんでした。
ありがとう
そしてあの日の赤ちゃん、4才のお誕生日おめでとう!
この日を覚えていてくれたのは、なぜかオットさん(笑)
でっかいプリンが2つも届いて
中に入っていたメッセージを読むと同時に
4年前の今日の日の記憶が
涙とともにブワーッと押し寄せてきました。
助産師の仕事は決してお産をとるだけではないけれど
お産に対する思いはやっぱり特別。
そんな特別な日を
私以外の誰かが記憶してくれていたなんてびっくりしました。
そういえばあの日、遅くに帰ってきた私を待っていてくれたのも
一緒に喜んでくれたのもオットさんでした。
ありがとう
そしてあの日の赤ちゃん、4才のお誕生日おめでとう!
2012年10月9日火曜日
人工内耳で音を聞くこと
先日タマが人工内耳の手術をうけたので
自分の肝に命じておきたいことをひとつ書きとめておく。
「聴覚障害者であることに変わりはない」
手術が終わってほぼ3週間。
周りの人から、ときどき
「もう聞こえてるの?」
と尋ねられる。
人工内耳の手術は聴覚神経のある蝸牛というところに
電極を入れるだけのものなので、
外部から電源を用いて電気信号を送り込まないことには
タマの中に音は入ってゆかない。
音を入れるためには外部装置が必要で、
それは見た目で言うと補聴器を装用しているようなかんじ。
先天性の高度難聴だったタマは
あと数日後に初めて、(極めて不完全ではあるけれども)
「音」を感じることになる。
今まで欠落していたであろう
五感が加わるって、どんなかんじなんだろうと
少し不安に思う。
今まで目の前に音無しで流れていた世界が
突然騒々しくなる。
人工内耳で音を聞くと最初は
とにかく周りの音が平等に入ってくるのだという。
虫の声も
車のエンジン音も
パソコンのキーを叩く音も
人の声も
食器がぶつかる音も
やきいも屋さんのアナウンスも
つけっぱなしのテレビの音も
全部。
それって、どんなかんじ?
オーケストラのコンサートが始まる前みたいな感じ?
聴覚障害の子にいつも気になって質問してしまうことがある
「いつ、自分が聞こえないってわかったの?」
今まで聞いた3人とも
「お母さんからおそわった」
と答えてくれた。
彼らにとって聞こえないことは
生まれた時から普通のことで
音がない世界に生きてきてるから
音のある世界に生きてる人から教わらないと
わからないのだなあ、と思って
不思議な気持ちになった。
私はきっとタマに
「音は聞こえてるけど、周りの人とは少し違うんだよ」
と教える必要があるんだな、と思う。
人工内耳の手術を受けた2、3才の子たちは
電池が切れて聞こえなくなったときや
朝起きて、まだ人工内耳を装用していないと
「電池がないよ」とか「人工内耳つけて」
って、伝えてくるみたいなので
音のある世界もまんざら嫌ではないし
きっとその子たちの生活にとって有用なのだな
とは思う。
でも、私の大好きな手話の先生はろうだけど
「今更つけようなんて思わないし、つけたくもない」
とはっきり言っていた。
だから、私たち夫婦がタマに人工内耳の手術を受けさせる
と決めた中には聞こえる世界に生きている私のエゴも入っている
ということ。
3年前に生後3ヶ月で、タマの難聴が発覚して
「ほとんど聞こえていない可能性があります、
このまま聞こえないようなら、いずれ人工内耳という選択肢もありえます。」
と耳鼻科の先生に言われた時
難聴について何の知識もない私は
「へえ、手術うけたら聞こえるようになるんだ」
くらいにしか思わなかった。
だから、一番最初に書いた言葉は
その時の私への戒め。
自分の肝に命じておきたいことをひとつ書きとめておく。
「聴覚障害者であることに変わりはない」
手術が終わってほぼ3週間。
周りの人から、ときどき
「もう聞こえてるの?」
と尋ねられる。
人工内耳の手術は聴覚神経のある蝸牛というところに
電極を入れるだけのものなので、
外部から電源を用いて電気信号を送り込まないことには
タマの中に音は入ってゆかない。
音を入れるためには外部装置が必要で、
それは見た目で言うと補聴器を装用しているようなかんじ。
先天性の高度難聴だったタマは
あと数日後に初めて、(極めて不完全ではあるけれども)
「音」を感じることになる。
今まで欠落していたであろう
五感が加わるって、どんなかんじなんだろうと
少し不安に思う。
今まで目の前に音無しで流れていた世界が
突然騒々しくなる。
人工内耳で音を聞くと最初は
とにかく周りの音が平等に入ってくるのだという。
虫の声も
車のエンジン音も
パソコンのキーを叩く音も
人の声も
食器がぶつかる音も
やきいも屋さんのアナウンスも
つけっぱなしのテレビの音も
全部。
それって、どんなかんじ?
オーケストラのコンサートが始まる前みたいな感じ?
聴覚障害の子にいつも気になって質問してしまうことがある
「いつ、自分が聞こえないってわかったの?」
今まで聞いた3人とも
「お母さんからおそわった」
と答えてくれた。
彼らにとって聞こえないことは
生まれた時から普通のことで
音がない世界に生きてきてるから
音のある世界に生きてる人から教わらないと
わからないのだなあ、と思って
不思議な気持ちになった。
私はきっとタマに
「音は聞こえてるけど、周りの人とは少し違うんだよ」
と教える必要があるんだな、と思う。
人工内耳の手術を受けた2、3才の子たちは
電池が切れて聞こえなくなったときや
朝起きて、まだ人工内耳を装用していないと
「電池がないよ」とか「人工内耳つけて」
って、伝えてくるみたいなので
音のある世界もまんざら嫌ではないし
きっとその子たちの生活にとって有用なのだな
とは思う。
でも、私の大好きな手話の先生はろうだけど
「今更つけようなんて思わないし、つけたくもない」
とはっきり言っていた。
だから、私たち夫婦がタマに人工内耳の手術を受けさせる
と決めた中には聞こえる世界に生きている私のエゴも入っている
ということ。
3年前に生後3ヶ月で、タマの難聴が発覚して
「ほとんど聞こえていない可能性があります、
このまま聞こえないようなら、いずれ人工内耳という選択肢もありえます。」
と耳鼻科の先生に言われた時
難聴について何の知識もない私は
「へえ、手術うけたら聞こえるようになるんだ」
くらいにしか思わなかった。
だから、一番最初に書いた言葉は
その時の私への戒め。
2012年10月5日金曜日
一日の終わりに
妹が実家に泊まりに来ていた時のこと
もうみんなで寝ようかと、お布団でコロコロしていた。
妹は2才の娘におっぱいをあげながら
「今日もありがとうね、あしたもいっぱいあそぼうね」
と声をかけている。
娘にお礼を言いながら寝かしつけている妹の言葉にじんわりし
「いっつもお礼言ってるん?すごいなあ、それいいなあ」と言うと、
「ちっちゃい時そんなんしてへんかったっけ?」という。
妹はちっちゃいころ、夜中に目が覚めては突然怖くなって両親の寝室に行き、
布団に潜り込み「パパとママ死なんといてな」と言っていたと。
死んだらどうしようとか、いなくなったらどうしようとか
そんなことを想像して、お祈りして寝てたんだって。
今は旦那さんにありがとうって言って眠りにつくんだって。
その話を聞いて、感謝と祈りは似ているんだなあと思った。
一日の終りにありがとう、言おう。
もうみんなで寝ようかと、お布団でコロコロしていた。
妹は2才の娘におっぱいをあげながら
「今日もありがとうね、あしたもいっぱいあそぼうね」
と声をかけている。
娘にお礼を言いながら寝かしつけている妹の言葉にじんわりし
「いっつもお礼言ってるん?すごいなあ、それいいなあ」と言うと、
「ちっちゃい時そんなんしてへんかったっけ?」という。
妹はちっちゃいころ、夜中に目が覚めては突然怖くなって両親の寝室に行き、
布団に潜り込み「パパとママ死なんといてな」と言っていたと。
死んだらどうしようとか、いなくなったらどうしようとか
そんなことを想像して、お祈りして寝てたんだって。
今は旦那さんにありがとうって言って眠りにつくんだって。
その話を聞いて、感謝と祈りは似ているんだなあと思った。
一日の終りにありがとう、言おう。
2012年8月27日月曜日
結婚記念日
8月26日は夏の結婚記念日。
(去年の結婚記念日はこちら)
当日は台風で絶対出ていけなさそうだったので
前倒しで家族四人、結婚式を挙げさせてもらったカフェに
晩ご飯を食べにゆきました。
去年はタマの発熱で行けなかったので、行けただけで満足。
娘2人も一緒で(おおはしゃぎで)大満足でした。
毎年する5年後の話
今年はなぜだか話がはずまないな、と思ったら
2人とも来月のタマの人工内耳の手術の事で
頭がいっぱいなのでした。
人間するべきことが真ん前にありすぎると
先のことまで頭がまわらないな、と思った結婚記念日。
まだ、迎えて5回目ですが
タマとウタの2人に鍛えられて
夫婦2人のチーム力は上がってるなあと思います。
予想外のことも、期待通りのことも
いっぱい目の前で起こってて
今はとりあえず家族みんなが健康だから
どれも含めて「人生楽しい!」って思える。
結婚前は、「無病息災」も「家内安全」も
当たり前のようにどっぷりつかってて
意味がわからなかった。
今は、ありがたいなと強く思う。
それと同時に、守られてるなあと思います。
たくさんの人や、何かわからない大きな存在に。
2012年8月10日金曜日
食事記録のこと
去年の9月の終わりくらいから
インスタグラムというアプリに一日三回の食事をアップし始めた。
特に何か目標があったわけでもなく
ただ、なんとなく。
その間にタマの体調が悪化し
入院生活があり
母がたびたび来沖してくれ
時には友人が集まってくれた。
何はともあれ、今は家族4人で食卓を囲む日々。
入院中はオットさんが付き添い、私は1人ご飯(ウタはおっぱい)
病院に作って持っていったサンドイッチ、売店で買ったお弁当
病院を抜けだして食べに行ったイオンのフードコートの牛丼(吉野家)
母が来てくれて1人じゃなくなった食卓(ウタはまだおっぱい)
退院祝いのローストビーフ、ウタのお誕生日パーティー
オットさんの一生懸命作ってくれるごはん、師匠のおうちのごはん
オットさんの一生懸命作ってくれるごはん、師匠のおうちのごはん
家族4人で過ごせたお正月、初めて家族4人で食べたインドカレー
海ごはん、めんどくさい朝のお助けマクドナルド
などなど
どの食事も
へこたれたり、がんばったり、うかれたりしている自分を
思い出させてくれる。
どれも私にとっては特別で、でもなんでもない風景。
そんな、なんでもない食事風景を
三日坊主の私が撮り続けてこれたのは
インスタグラムやその他SNSで
繋がっている人たちのおかげだなと思う。
私は主婦、オットさんはほぼおうちで仕事、
子ども達はまだどこにも通っていない。
朝・昼・晩と一日三回の食事を毎日、
しかも4人家族全員でとれる機会なんていつまでだろうか。
そう考えると、ふと思い立って始めた
この食事記録はとても貴重なものになった。
何の目標もなく始めたこの食事記録
途中から、続けるのは一年間と決めていた。
もう残すところ、ひと月と少し。
何の目標もなく始めたこの食事記録
途中から、続けるのは一年間と決めていた。
もう残すところ、ひと月と少し。
2012年7月23日月曜日
名付けの子守唄
今日はタマの3才のお誕生日でした。
師匠にお誘いいただいて、ライアーをききにタマと助産院へ。
ライアーの響きを床に寝転んで身体で感じとったり、
たくさんの楽器を自由にさわらせてもらったり、
茜で染められた大きな絹の布の中に入ってライアーを聞きながら
こどもも大人もはしゃいだり、ぼーっとしたり、
こうやって過ごすうち
いろんな思いがこみ上げてきて
たくさん涙が出ました。
うれしくてうれしくて仕方のない涙。
お誕生日は親のためにあるんだ。
それは、子どもが生まれて知ったこと。
最後にライアーの先生から「今日がお誕生日だから」と
竹富島に伝わる「名付けの子守唄」をタマに贈ってもらいました。
みんなで歌う子守唄、なのだそうです。
円を作って、真ん中に名付けられた子が座る。
そしてみんなに、こう歌ってもらいました。
女子まぬ 名や のーてぃどぅ 付きょうる
(女の子の名前は何と付けますか)
たまき てぃーどぅ 名や 付きょうる
(たまきと 付けます)
うれみしゃ うれみしゃ たまき給られ
(うれしいね たまきの名を頂いて)
すっつぁら すっつぁら たまき給られ
(誉れだ たまきの名を頂いて)
たくさんの人に「うれしいね、ほまれだね」
と祝いでもらった子は、こうしてこの世にとどまる。
この世を離れそうになっている子も、こうして引き止める。
そう、伺いました。
名は存在の証なんだね。
今は3才まで生きることなんて簡単、だと思える時代。
でも昔はそうじゃなかったし、今もそうじゃない人はいる。
たった3年間だけど
この子ちゃんと生きていけるんだろうか、大人になれるんだろうか
と何度も思ったから、この子守唄がとても響きました。
そんな思いをよそに、タマは円の真ん中で楽しそうに笑っていました。
3年間、タマが生きてきたのは沢山の人のおかげ
33年間、私が生きてこれたのはきっともっと沢山の人のおかげ
師匠にお誘いいただいて、ライアーをききにタマと助産院へ。
ライアーの響きを床に寝転んで身体で感じとったり、
たくさんの楽器を自由にさわらせてもらったり、
茜で染められた大きな絹の布の中に入ってライアーを聞きながら
こどもも大人もはしゃいだり、ぼーっとしたり、
こうやって過ごすうち
いろんな思いがこみ上げてきて
たくさん涙が出ました。
うれしくてうれしくて仕方のない涙。
お誕生日は親のためにあるんだ。
それは、子どもが生まれて知ったこと。
最後にライアーの先生から「今日がお誕生日だから」と
竹富島に伝わる「名付けの子守唄」をタマに贈ってもらいました。
みんなで歌う子守唄、なのだそうです。
円を作って、真ん中に名付けられた子が座る。
そしてみんなに、こう歌ってもらいました。
女子まぬ 名や のーてぃどぅ 付きょうる
(女の子の名前は何と付けますか)
たまき てぃーどぅ 名や 付きょうる
(たまきと 付けます)
うれみしゃ うれみしゃ たまき給られ
(うれしいね たまきの名を頂いて)
すっつぁら すっつぁら たまき給られ
(誉れだ たまきの名を頂いて)
たくさんの人に「うれしいね、ほまれだね」
と祝いでもらった子は、こうしてこの世にとどまる。
この世を離れそうになっている子も、こうして引き止める。
そう、伺いました。
名は存在の証なんだね。
今は3才まで生きることなんて簡単、だと思える時代。
でも昔はそうじゃなかったし、今もそうじゃない人はいる。
たった3年間だけど
この子ちゃんと生きていけるんだろうか、大人になれるんだろうか
と何度も思ったから、この子守唄がとても響きました。
そんな思いをよそに、タマは円の真ん中で楽しそうに笑っていました。
3年間、タマが生きてきたのは沢山の人のおかげ
33年間、私が生きてこれたのはきっともっと沢山の人のおかげ
2012年7月14日土曜日
たらちねの
先月無事にウタの卒乳を迎えることができて
約4年ぶりに自分だけの身体にもどった。
ちっちゃくしぼんだおっぱい
実はちょっと誇らしい。
物心ついてから、私が見てきた大人の女性の身体が
曾祖母や祖母、それに母・・・と
授乳を終えてきた人たちだったから、だろうか。
胸板の肉が落ちた感じをとてもセクシーに思う。
私にとって成熟した女性のイメージ。
それは母、だったんだな。
2012年6月26日火曜日
きょうだい
「きょうだい」という言葉があるというのを知ったのはNHKの番組だった。
障害や病気を持つ人の兄弟を特にそう呼ぶらしい。
うちにはタマがいるから、ウタは「きょうだい」という立場。
親から十分に愛情を受けられなかったと感じて育ったり、
親が亡くなった後その病気や障害を持った兄弟の保護者的な役割を
担わなければならないという重責を自ら背負って育ったりするそうだ。
最近ウタが気を引きたい時に、オエッっと吐くそぶりをみせる。
時には指を自分の口に入れてオエッっとさせている。
タマがずっと吐いていて、私もオットさんもタマが少しでも吐くそぶりを
見せると即座に駆けつけ世話していたのを見てきたからだろう。
今ではタマが吐くそぶりをみせるとウタまで一緒にパタパタと
ガーゼを持ってきて、タマの背中をトントンとさすってくれる。
「オエッ」はウタにとって「私を見て」のサインになっている。
このサインを最初にみた時、私はドキリとして
「そんなことしないの!」と喉に突っ込んだ手を引きぬいて
「苦しいでしょ?悲しいからだめだよ」と話しかけていた。
でも本当はそんなことじゃなくて
ただぎゅっと抱きしめてあげればいいのだ。そうわかった。
「大丈夫、大好きだからね」と言いながら抱きしめた
私自身がウタを感じてホッとしていたから。
「きょうだい」がいると同時に「おや」だっている。
自己中心的な私はそう思う。
平等にかまってやれない環境なんていっぱいある。
そしてそれがつらい「おや」もいる。
いのちはけっこう気ままにやってきて、自由に大きくなるから
大人たちは喜んでそれをみていたらいいんだな。
いつもそう思いながら生活している。
喜んでみてくれる大人たちが沢山いることを祈りながら。
障害や病気を持つ人の兄弟を特にそう呼ぶらしい。
うちにはタマがいるから、ウタは「きょうだい」という立場。
親から十分に愛情を受けられなかったと感じて育ったり、
親が亡くなった後その病気や障害を持った兄弟の保護者的な役割を
担わなければならないという重責を自ら背負って育ったりするそうだ。
最近ウタが気を引きたい時に、オエッっと吐くそぶりをみせる。
時には指を自分の口に入れてオエッっとさせている。
タマがずっと吐いていて、私もオットさんもタマが少しでも吐くそぶりを
見せると即座に駆けつけ世話していたのを見てきたからだろう。
今ではタマが吐くそぶりをみせるとウタまで一緒にパタパタと
ガーゼを持ってきて、タマの背中をトントンとさすってくれる。
「オエッ」はウタにとって「私を見て」のサインになっている。
このサインを最初にみた時、私はドキリとして
「そんなことしないの!」と喉に突っ込んだ手を引きぬいて
「苦しいでしょ?悲しいからだめだよ」と話しかけていた。
でも本当はそんなことじゃなくて
ただぎゅっと抱きしめてあげればいいのだ。そうわかった。
「大丈夫、大好きだからね」と言いながら抱きしめた
私自身がウタを感じてホッとしていたから。
「きょうだい」がいると同時に「おや」だっている。
自己中心的な私はそう思う。
平等にかまってやれない環境なんていっぱいある。
そしてそれがつらい「おや」もいる。
いのちはけっこう気ままにやってきて、自由に大きくなるから
大人たちは喜んでそれをみていたらいいんだな。
いつもそう思いながら生活している。
喜んでみてくれる大人たちが沢山いることを祈りながら。
2012年6月3日日曜日
生きる、伝える、つながる、ひろがる
タマが生まれてから「見えない障害」について
考えるようになった。
耳が聞こえないことは説明しないとわからないし
先天性心疾患も胸の傷を見なければわからない。
(今は酸素と経管栄養のチューブでいかにも病気の子っぽいけれど)
だから、オットさんとつねづね話していたのは
たとえば小学生の間にタマが自分の事を
お友達や先生に説明出来るようになってもらいたいということ。
耳が聞こえにくいからこうして欲しい、とか
心臓が弱いからこんなことを助けて欲しい、とか
こんなことならできる、とか。
手話でもいいし、もちろん可能なら音声言語でも構わない
字や文章が書けるようになったら、なおいい。
そして彼女がひとりでできない間は
私たちが伝えることを助けられたらいい。
これってたぶん、すごく難しいこと。
だけどこのブログを読んでくれている誰かが
見えない障害に興味を持ってくれたなら
どうかそんな人に、耳を傾けてみてください。
きっと世界が広がるから
2012年5月19日土曜日
自分のこどもがいじめられていたらどうしますか?
その昔、ある面接で
「自分の子供がいじめられていたらどうしますか?」
と質問された。まだ、わたしが高校生の頃だった。
その瞬間めちゃめちゃ深く考えて、自分で納得して出した答えは
「いじめを子供から話してもらえる親でいたいです。」
今でも、その気持ちは変わっていないけど
これじゃ質問には答えられていないのかもしれない。
少し前にあった、無免許運転で死傷者が出た京都での事件。
あのニュースを見て「あ、わたし変わったな」と思ったのは
自分が無免許運転した子の親だったらどうするかなと考えた瞬間。
以前はもっと正義者ぶっていたかった
誰かの責任にしていたかった
じゃあ自分が親だったら?
という質問はとてもどきりとさせられる質問になった。
でも、この考える作業はつづけていたい。
「自分の子供がいじめられていたらどうしますか?」
と質問された。まだ、わたしが高校生の頃だった。
その瞬間めちゃめちゃ深く考えて、自分で納得して出した答えは
「いじめを子供から話してもらえる親でいたいです。」
今でも、その気持ちは変わっていないけど
これじゃ質問には答えられていないのかもしれない。
少し前にあった、無免許運転で死傷者が出た京都での事件。
あのニュースを見て「あ、わたし変わったな」と思ったのは
自分が無免許運転した子の親だったらどうするかなと考えた瞬間。
以前はもっと正義者ぶっていたかった
誰かの責任にしていたかった
じゃあ自分が親だったら?
という質問はとてもどきりとさせられる質問になった。
でも、この考える作業はつづけていたい。
2012年5月11日金曜日
ただ聞いて欲しい
先日、よく行く八百屋さんでのこと。
もうすでに顔見知りになっているお店の可愛いお姉さんから、
「あれー?今日はひとり?」と聞かれた。
そして「長女さんが病気なの?」とも。
タマとウタ、2人ともよく連れて行くので
きっと不思議に思っていたに違いない。
どっちがお姉ちゃんなのか
酸素のチューブと経管栄養のチューブをつけている子は何の病気なのか。
タマに心臓の病気があることと、耳が聞こえにくいことを話すと
「なるほどね〜」と言ってくれた。
タマが何かいつも言いたそうなのに声を出さないので
なんでかなと思っていたって
早くここの野菜も食べられるようになるといいねって。
タマの病気についてさらっと聞いてもらえて
私はすごく嬉しかった。
ここのお姉さんたちはいつも子供によく話しかけてくれて、
よく見てくれているから、こんな些細なことにも
気づいてくれるんだろうなあと思った。
そのことについて、少し避けながら話していたように思う。
聞いたら失礼な気もするし
知るのが怖いような気もするし
なんて言えば良いのかわからないし
自分からふれまわるわけではないけれど
ただ聞いて、知ってもらいたい。
そして「ふうん、そんな子もいるんだねー」
くらいに思ってもらいたい。
贅沢かな?
もうすでに顔見知りになっているお店の可愛いお姉さんから、
「あれー?今日はひとり?」と聞かれた。
そして「長女さんが病気なの?」とも。
タマとウタ、2人ともよく連れて行くので
きっと不思議に思っていたに違いない。
どっちがお姉ちゃんなのか
酸素のチューブと経管栄養のチューブをつけている子は何の病気なのか。
タマに心臓の病気があることと、耳が聞こえにくいことを話すと
「なるほどね〜」と言ってくれた。
タマが何かいつも言いたそうなのに声を出さないので
なんでかなと思っていたって
早くここの野菜も食べられるようになるといいねって。
タマの病気についてさらっと聞いてもらえて
私はすごく嬉しかった。
ここのお姉さんたちはいつも子供によく話しかけてくれて、
よく見てくれているから、こんな些細なことにも
気づいてくれるんだろうなあと思った。
独身のころ、私は
「あ、この子(この人)病気なのかな」と思ったらそのことについて、少し避けながら話していたように思う。
聞いたら失礼な気もするし
知るのが怖いような気もするし
なんて言えば良いのかわからないし
でも、病気の子を持つ今はこう思う。
タマの病気について知ってもらいたい。
自分でも気づかなかったけれど
そう思いながら生活しているようなのだ。自分からふれまわるわけではないけれど
ただ聞いて、知ってもらいたい。
そして「ふうん、そんな子もいるんだねー」
くらいに思ってもらいたい。
贅沢かな?
| 音をからだできいています。 |
2012年4月26日木曜日
卒乳について
最近、卒乳について思いを巡らせることが多い。
世の授乳婦さんたちはみんなどんなふうにとらえているんだろう?
どんなふうにその日を迎えているんだろう?
私にはタマの卒乳記念日という日があって
それはそれは、涙の出る日なのです。
オットさんや寄り添ってくれた助産師さんと振り返るたびに
「よくやったね、がんばったね」と、いたわり合う日。
おっぱいをこの日でやめようね、と家族で決めていたその日
オットさんから賞状をもらったときには感動しました。
タマの卒乳を決めたのはウタを妊娠したから、という理由が主で
恥ずかしながら、年子は欲しかったけれど
タマの授乳のことまでは気が回らなかった、というていたらく。
妊娠したカラダに授乳はきつく
当時9ヶ月だったタマに卒乳をがんばらせてしまう結果に。
当時も今も、タマの授乳ライフを早くに打ち切ってしまったことに
後悔があるけれど、毎年卒乳記念日を思い返すたびに
癒されている気がします。
あの時に卒乳をがんばったタマはやっぱりすごいし
9ヶ月間タマにおっぱいをあげることができた自分も誇らしい。
タマが生まれてから退院するまでの2ヶ月間
ずっと搾乳しつづけて得た母乳育児だったし、
哺乳瓶からの移行にも関わらず、すぐおっぱいを上手に飲めたタマにも感謝。
それを毎年、後悔とともに振り返り、癒されています。
だからこの卒乳記念日って私にとって大事だなあと思う。
人生の中でおっぱいを飲んでいる時間ってほんとに少しの期間。
でもその期間、お母さんたちは赤ちゃんの生命をあずかっている。
だからやめるときって、お母さんたちにとっては一大事。
いつやめようか、どうやってやめようか、やめられるのだろうか・・・
なぜやめるのか?理由だって人によってストーリーはさまざま。
だからこそ記念日として
「私もあなたもがんばった」「私もできる、あなたもできる」
という節目の日にすることに大切さを感じるのです。
初めてお母さんが「私がいなくてもこの子は大丈夫」
と、自分の子を信頼する日。
はてさて、ウタの卒乳はいつになるのやら・・・(笑)
これはまた別の話。
![]() |
| オットさんから、これはがんばったタマに |
![]() |
| これはがんばった私に |
2012年4月11日水曜日
夫婦
その昔
彼女に振られたばかりの男と
その彼女の友達が会って、
彼女の友達はたまたまめちゃくちゃ
「(だれでもいいから)結婚したい!」
と思っていたところに
彼女に振られたばかりの男がふと「結婚しよう」
と言ったばっかりに、2人は結婚した。
というのは私達の話。
時々好きだったっけ?と不思議に思うが
大切でこれからもずっと一緒にいて欲しい人
であることに、変わりはない。
少なくとも結婚した当初よりずっと好きになっている。
で、やっぱり不思議だな、と思う。
自分の人生で「覚悟を決めて誰かと付き合う」
ことをしたのは結婚が初めてだった。
それでも、ちょっとでも忙しくなると
相手のことを思いやれなくなる
好きだったっけ?と思ってしまう。
結婚してすぐの頃よりはずっと
喧嘩の仕方もおとなになってきたし
ちゃんと反省会も出来るようになった。
でも忙しいと思いやれなくなるんだよなあ・・・お互いに!
覚悟を決めて向きあうって
かっこ悪くて、必死で、野暮ったいこと。
でも私は時間をかけて、それがしたいのだ。
彼女に振られたばかりの男と
その彼女の友達が会って、
彼女の友達はたまたまめちゃくちゃ
「(だれでもいいから)結婚したい!」
と思っていたところに
彼女に振られたばかりの男がふと「結婚しよう」
と言ったばっかりに、2人は結婚した。
というのは私達の話。
時々好きだったっけ?と不思議に思うが
大切でこれからもずっと一緒にいて欲しい人
であることに、変わりはない。
少なくとも結婚した当初よりずっと好きになっている。
で、やっぱり不思議だな、と思う。
自分の人生で「覚悟を決めて誰かと付き合う」
ことをしたのは結婚が初めてだった。
それでも、ちょっとでも忙しくなると
相手のことを思いやれなくなる
好きだったっけ?と思ってしまう。
結婚してすぐの頃よりはずっと
喧嘩の仕方もおとなになってきたし
ちゃんと反省会も出来るようになった。
でも忙しいと思いやれなくなるんだよなあ・・・お互いに!
覚悟を決めて向きあうって
かっこ悪くて、必死で、野暮ったいこと。
でも私は時間をかけて、それがしたいのだ。
2012年4月1日日曜日
女の自主練中
今まさに、子宮がぼわっとなっています。
ということで産後再びノーナプキン自主練中。
大学生の頃、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち」を読んで
つねづね出来ればいいのに!と思っていた月経コントロールが
実際に昔の女性はできていた、という目からウロコの内容で
それからゆるゆる自主練しつつ今に至ります。
だから産後、月経が再開したときにはほんとうに嬉しかった!
学生の時は自分のカラダを知る、感じる、がとっても楽しくて
実践していただけだったけど、今はそれ以上に楽しい。
と、いうのも娘がいるから。
このままバシッと自分の月経コントロールが決まるようになれば
娘たちが初潮を迎えた頃にはお手製布ナプキンを手渡しつつ
余裕の笑顔ででひと講釈たれるようになれるでしょう。
女の先輩として!ふふふ
女性の体がどんなに面白くできてるのか
身体を通じて伝えられる大チャンスを逃す手はない!
私が大学生の時に本を通じて
月経や女性の体って面白い!とか、楽しみたい!と思えたこと
これホントは初潮を迎えた時に知っていたかった。
身近に月経や身体の使い方を楽しむ女性と出会っていたら
それまで嫌だなと思っていた月経や自分の身体を
少しは楽しめたり、いたわったりできてたかもしれないと思うから。
娘の身体の中に、私の孫になるかもしれない卵が
もうすでに存在していると思うと感動で
私の中にいる卵子さんも私と一緒に年を重ねてきた同志たち。
誰にも出会えなかった子たちは
月に一回、ひとり(半人?)ずつつ旅立ってしまうけれど
気持ちよく送り出してあげたい。
まだまだ月経が続く限りは楽しみたい。
そんでもって、そんなこんなをいつか娘に伝えられたら
こんなに嬉しいことはないと思うのです。
タマとウタにはおむつなし育児
自分の月経の時にもおむつなし生活
ちょっと気持ちに余裕の出きたきた今日この頃。
あったかくなってきたし、こどもにも自分にも
カラダに気持ちいいをどんどん実践していきたい。
ということで産後再びノーナプキン自主練中。
大学生の頃、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち」を読んで
つねづね出来ればいいのに!と思っていた月経コントロールが
実際に昔の女性はできていた、という目からウロコの内容で
それからゆるゆる自主練しつつ今に至ります。
だから産後、月経が再開したときにはほんとうに嬉しかった!
学生の時は自分のカラダを知る、感じる、がとっても楽しくて
実践していただけだったけど、今はそれ以上に楽しい。
と、いうのも娘がいるから。
このままバシッと自分の月経コントロールが決まるようになれば
娘たちが初潮を迎えた頃にはお手製布ナプキンを手渡しつつ
余裕の笑顔ででひと講釈たれるようになれるでしょう。
女の先輩として!ふふふ
女性の体がどんなに面白くできてるのか
身体を通じて伝えられる大チャンスを逃す手はない!
私が大学生の時に本を通じて
月経や女性の体って面白い!とか、楽しみたい!と思えたこと
これホントは初潮を迎えた時に知っていたかった。
身近に月経や身体の使い方を楽しむ女性と出会っていたら
それまで嫌だなと思っていた月経や自分の身体を
少しは楽しめたり、いたわったりできてたかもしれないと思うから。
娘の身体の中に、私の孫になるかもしれない卵が
もうすでに存在していると思うと感動で
私の中にいる卵子さんも私と一緒に年を重ねてきた同志たち。
誰にも出会えなかった子たちは
月に一回、ひとり(半人?)ずつつ旅立ってしまうけれど
気持ちよく送り出してあげたい。
まだまだ月経が続く限りは楽しみたい。
そんでもって、そんなこんなをいつか娘に伝えられたら
こんなに嬉しいことはないと思うのです。
タマとウタにはおむつなし育児
自分の月経の時にもおむつなし生活
ちょっと気持ちに余裕の出きたきた今日この頃。
あったかくなってきたし、こどもにも自分にも
カラダに気持ちいいをどんどん実践していきたい。
| うちの新入り、紅子 アイシャドウと口紅が色っぽい。 |
2012年3月22日木曜日
思い出話
大切なものを見つけて思い出したこと。
見つけたのはタマが着ていた産着。
お腹にいた時にもう
心臓の奇形があります
出産後直ぐに手術が必要です
生まれてから2ヶ月間は循環器の小児病棟に入院します。
と医師から説明を受けた。
妊娠中に小児病棟の見学もさせてもらい
入院中に必要な物も病棟の看護師さんから詳しく教わった。
その中に
「赤ちゃんの着る服、ミトン、くつした(名前を記入しておいてください)」
があって、せっせと水通しした産着にタマの名前を刺繍した。
刺繍していたあの頃の私を思い出すと、涙が出る。
初めてこどもを授かって、嬉しくて
「両大血管右室起始症」っていう心奇形がありますって教わってもやっぱり、
私のところに来てくれた子がいるのは、嬉しくて
ずっと「たま、たま、たま!」と話しかけていた。
幸せだったのだ、わたし。
でもその一方で、どうしようもない不安もあった。
と、今の私はわかる。
なんで私の子が生まれる前から、こんなことになるのか
なんで私には何もできないのか。
そんなことを考えて妊娠期間をずっと泣いて、
悲しい気持ちで過ごしたくはなかった。
だから、自分の気持ちをごまかしながら気丈に振舞ったし
自分にできることをして過ごしていた。
だから、あの時の自分のかわりに今の私が涙を流す。
傍らには大きくなっているタマがいる。
見つけたのはタマが着ていた産着。
お腹にいた時にもう
心臓の奇形があります
出産後直ぐに手術が必要です
生まれてから2ヶ月間は循環器の小児病棟に入院します。
と医師から説明を受けた。
妊娠中に小児病棟の見学もさせてもらい
入院中に必要な物も病棟の看護師さんから詳しく教わった。
その中に
「赤ちゃんの着る服、ミトン、くつした(名前を記入しておいてください)」
があって、せっせと水通しした産着にタマの名前を刺繍した。
刺繍していたあの頃の私を思い出すと、涙が出る。
初めてこどもを授かって、嬉しくて
「両大血管右室起始症」っていう心奇形がありますって教わってもやっぱり、
私のところに来てくれた子がいるのは、嬉しくて
ずっと「たま、たま、たま!」と話しかけていた。
幸せだったのだ、わたし。
でもその一方で、どうしようもない不安もあった。
と、今の私はわかる。
なんで私の子が生まれる前から、こんなことになるのか
なんで私には何もできないのか。
そんなことを考えて妊娠期間をずっと泣いて、
悲しい気持ちで過ごしたくはなかった。
だから、自分の気持ちをごまかしながら気丈に振舞ったし
自分にできることをして過ごしていた。
だから、あの時の自分のかわりに今の私が涙を流す。
傍らには大きくなっているタマがいる。
2012年3月9日金曜日
今日、成功したこと
この冬は、(と言っても、もう春ですね。)
年を越すまでは、気が張っていたのか風邪はひきませんでした。
ところが年を越してから2回ほど風邪をひいています。
ほどほどの風邪をひくのはまあ、免疫力上げるためにもいいんでしょ?
とか思うのですが、やっぱりホントのとこひきたくない。
生活に支障が出るくらいってのは困るし、
なにより家族に移って一家全滅というのはイヤだ。
で、何が言いたいのかといいますと
今日、わたしは風邪の侵入を防ぎました!
(と、思います。くらいにしとこうかな)
実を言いますと私の母親は健康オタクです。
で、自分の身体のメンテナンスもとても上手なのです。
ニキビ(?)ができそうだなと思えばそこをよくもんで
膿む前にカラダに吸収させてしまう。
喉が痛いなと思えば、百合油をつけては喉をさすり
ツボ押しをプラス。
で、風邪をひきそうだなと感じたら
これまた百合油で即うがいをし、鎖骨や喉のあたりをマッサージ。
温かいものを食べて早く寝る。
こういうセルフケアをまめにする人なのです。
で風邪もニキビ(?)も軽症で終わらせてしまう。
そんな母親を横目に過ごしてきた私、自分のことには無頓着でした。
体力に自信もあるし(前は仕事)今は子育てでそんな
自分にかまってる暇なんかないよ〜
と、思っていたのです。
実際、私の母も子育て時代に自分のことに
今ほど目を向けていたかというと「そんな時間はなかった!」といいます。
(彼女が健康オタクになったのはこどもが皆、家を出てからではなかろうか)
電話で母とそんな話をしたあとに、
ふと「でも、それって今の自分に一番必要なことなんじゃないの?」
と思ったのです。
で、今回。一昨日の夜に
「なんとなくだるい、喉がほんの少しいがらっぽい」
という身体のサインをみごと(?)キャッチし
百合油でうがい、喉のマッサージ、リンパの流れを良くする体操、
を日中ちょこちょこやっていたら・・・
風邪がどこかへ行ってしまった、というわけなのです。
前回は風邪っぽいと言いながら知らぬふりして過ごしていたら
見事ズルズルグズグズと一週間ほど風邪っぴき生活。
それと比べれば雲泥の差ではないですか!
自分が頑張らないといけない今だから
自分のからだのことに目を向ける
自分の体を大事にする。
案外、忘れてしまうことだから
きちんと心にとめておきたいと思います。
年を越すまでは、気が張っていたのか風邪はひきませんでした。
ところが年を越してから2回ほど風邪をひいています。
ほどほどの風邪をひくのはまあ、免疫力上げるためにもいいんでしょ?
とか思うのですが、やっぱりホントのとこひきたくない。
生活に支障が出るくらいってのは困るし、
なにより家族に移って一家全滅というのはイヤだ。
で、何が言いたいのかといいますと
今日、わたしは風邪の侵入を防ぎました!
(と、思います。くらいにしとこうかな)
実を言いますと私の母親は健康オタクです。
で、自分の身体のメンテナンスもとても上手なのです。
ニキビ(?)ができそうだなと思えばそこをよくもんで
膿む前にカラダに吸収させてしまう。
喉が痛いなと思えば、百合油をつけては喉をさすり
ツボ押しをプラス。
で、風邪をひきそうだなと感じたら
これまた百合油で即うがいをし、鎖骨や喉のあたりをマッサージ。
温かいものを食べて早く寝る。
こういうセルフケアをまめにする人なのです。
で風邪もニキビ(?)も軽症で終わらせてしまう。
そんな母親を横目に過ごしてきた私、自分のことには無頓着でした。
体力に自信もあるし(前は仕事)今は子育てでそんな
自分にかまってる暇なんかないよ〜
と、思っていたのです。
実際、私の母も子育て時代に自分のことに
今ほど目を向けていたかというと「そんな時間はなかった!」といいます。
(彼女が健康オタクになったのはこどもが皆、家を出てからではなかろうか)
電話で母とそんな話をしたあとに、
ふと「でも、それって今の自分に一番必要なことなんじゃないの?」
と思ったのです。
で、今回。一昨日の夜に
「なんとなくだるい、喉がほんの少しいがらっぽい」
という身体のサインをみごと(?)キャッチし
百合油でうがい、喉のマッサージ、リンパの流れを良くする体操、
を日中ちょこちょこやっていたら・・・
風邪がどこかへ行ってしまった、というわけなのです。
前回は風邪っぽいと言いながら知らぬふりして過ごしていたら
見事ズルズルグズグズと一週間ほど風邪っぴき生活。
それと比べれば雲泥の差ではないですか!
自分が頑張らないといけない今だから
自分のからだのことに目を向ける
自分の体を大事にする。
案外、忘れてしまうことだから
きちんと心にとめておきたいと思います。
2012年3月2日金曜日
じぶんの手
前回、思いつめたブログをアップしてしまったために
ご心配おかけしました。
優しく声をかけてくださったかた、そっと見守ってくださっている方
ありがとうございます。
喧嘩もするけれど家族4人、毎日笑って過ごしています。
へこむこともあれば、やる気満々のこともある、そんな普通の毎日です。
と、そんな中で最近のわたしの癒しがオイルマッサージ。
タマの風邪症状がひどくて胸がゼロゼロしているときに
ふと思いついて久しぶりにベビーマッサージをしました。
これが想像以上に良くて!
ほとんど、手を当てているだけだけれど
私もタマも肌が触れていることがとても心地よく
しんどくてぐずっていたのがすっとおさまる。
何より「どうしてあげたらいいんだろう」と
おろおろした気持ちが
「あ、わたしの手で気持ちよく眠った」と
ハハとしての自信に変わる。(そして私も眠い。)
ひとの手ってすごいなあと思います。
数年前、おじいちゃんが末期がんでもう今際の際にいるとき
おしっこも出なくなって体中がむくんでいました。
眠りも浅くて、夜中に何度となく目が覚める。
そばについていた伯父ちゃんが、ベットサイドでひたすらひたすら
さすっていたら、そこだけほっそり(笑)おじいちゃんもぐっすり。
病気の時ってそばにいる人は何にもできないって思いがちだけど
触れることはいつでもできる。
そんな単純なことに、久しぶりに気づけて良かった。
大切な人にはいつも触れていたい。
ご心配おかけしました。
優しく声をかけてくださったかた、そっと見守ってくださっている方
ありがとうございます。
喧嘩もするけれど家族4人、毎日笑って過ごしています。
へこむこともあれば、やる気満々のこともある、そんな普通の毎日です。
と、そんな中で最近のわたしの癒しがオイルマッサージ。
タマの風邪症状がひどくて胸がゼロゼロしているときに
ふと思いついて久しぶりにベビーマッサージをしました。
これが想像以上に良くて!
ほとんど、手を当てているだけだけれど
私もタマも肌が触れていることがとても心地よく
しんどくてぐずっていたのがすっとおさまる。
何より「どうしてあげたらいいんだろう」と
おろおろした気持ちが
「あ、わたしの手で気持ちよく眠った」と
ハハとしての自信に変わる。(そして私も眠い。)
ひとの手ってすごいなあと思います。
数年前、おじいちゃんが末期がんでもう今際の際にいるとき
おしっこも出なくなって体中がむくんでいました。
眠りも浅くて、夜中に何度となく目が覚める。
そばについていた伯父ちゃんが、ベットサイドでひたすらひたすら
さすっていたら、そこだけほっそり(笑)おじいちゃんもぐっすり。
病気の時ってそばにいる人は何にもできないって思いがちだけど
触れることはいつでもできる。
そんな単純なことに、久しぶりに気づけて良かった。
大切な人にはいつも触れていたい。
2012年2月29日水曜日
にがつがにげた
あっという間で2月も終わり。
もうブログとか、やめてまえばええやんと思ったりもするけど
自分の時間がとれてる証拠だと思って細々とやります(笑)。
なかなかこころとからだのことが書けてないので
とりあえず最近のことを
・オットさんと大げんか
始まりはささいなことだったと思うんですが、
殴る蹴るの大げんかにまで発展。(うそです)
後に2人で反省会をひらいた結果、
「去年の秋から続くタマの体調不良と
今後の治療の見通しの立たなさのせいである」
ということになりました。
そのことに2人とも疲れていたし、悩んでた。
日々楽しく暮らしてるつもりでも、やっぱりふたりとも
今つらいことは何か?って聞かれたら
「タマがどうしたら元気になるのかわからないこと」
生まれた時から目標にしていた手術が終わって、
でも体調がすぐれない。吐いてばかりで、体重も増えない。
主治医の先生も頭を悩ませながら
「一つづつ原因らしきものを潰していくしかない」と言う。
親の私たちは日々のタマの体調に一喜一憂して、
吐くけどミルクとご飯を作って、一緒に食卓を囲んで
夜中に苦しそうに唸っているタマの背中をトントンする。
機嫌が良ければ外に連れ出し
出先で吐いて周りの人を心配させることもある。
もちろん調子の良い時は笑うし、たくさん飲むし、手もひらひらさせるけど
いつまでも、これで良いわけがない。
とオットさんも私も頭のどこかで思ってる。
5ヶ月くらいそんなことを続けていた心の疲れが
たぶん、今きたのかな。
心配してくれている人達にも説明するのが億劫なほど疲れてた。
「どうやったらタマが元気になるのかわからない」と説明したら
いまにも自分が崩れてしまいそうで、説明なんかしたくなかった。
ケンカして、離婚しない程度にガス抜き出来て良かったと思います。
別にだれも悪くないし!
最初からタマが
「このままの体重で大人になります。」とか
「一生吐く病気です。」とか
わかっていれば、
じゃあそれでも人生楽しく生きるにはどうしたらいいんだろう!
何を工夫したらいいんだろう!
って考えを、切り替えられるときがくると思う。
だけどこの5ヶ月、良くなるんだか悪くなるんだか
心臓のことが優先で耳のことはほったらかしになりがち
これだって、心臓のことが落ち着いてから・・・っていつになるの?
とあせる。焦ったってしょうがないんだけれども。
・・・・と愚痴みたいになってきました。
もうやめとこう。
つくづく思うのは、やっぱりだれも悪くないということ。
みんな、精一杯やってこれです。ドクターたちも家族も。
支えてくれる人がいない限り、
病児を抱える家族は崩壊するリスクが高い。
病気って天災と同じようなものだから、誰のせいでもない。
でも病気と共存していくためにはどうしても負荷がかかる。
そんなときに差し伸べてくれる手が多いほど、
生き残っていけるんだと思うなあ。
私は本当にたくさんの人に支えられていると思います。ありがとう
もうブログとか、やめてまえばええやんと思ったりもするけど
自分の時間がとれてる証拠だと思って細々とやります(笑)。
なかなかこころとからだのことが書けてないので
とりあえず最近のことを
・オットさんと大げんか
始まりはささいなことだったと思うんですが、
殴る蹴るの大げんかにまで発展。(うそです)
後に2人で反省会をひらいた結果、
「去年の秋から続くタマの体調不良と
今後の治療の見通しの立たなさのせいである」
ということになりました。
そのことに2人とも疲れていたし、悩んでた。
日々楽しく暮らしてるつもりでも、やっぱりふたりとも
今つらいことは何か?って聞かれたら
「タマがどうしたら元気になるのかわからないこと」
生まれた時から目標にしていた手術が終わって、
でも体調がすぐれない。吐いてばかりで、体重も増えない。
主治医の先生も頭を悩ませながら
「一つづつ原因らしきものを潰していくしかない」と言う。
親の私たちは日々のタマの体調に一喜一憂して、
吐くけどミルクとご飯を作って、一緒に食卓を囲んで
夜中に苦しそうに唸っているタマの背中をトントンする。
機嫌が良ければ外に連れ出し
出先で吐いて周りの人を心配させることもある。
もちろん調子の良い時は笑うし、たくさん飲むし、手もひらひらさせるけど
いつまでも、これで良いわけがない。
とオットさんも私も頭のどこかで思ってる。
5ヶ月くらいそんなことを続けていた心の疲れが
たぶん、今きたのかな。
心配してくれている人達にも説明するのが億劫なほど疲れてた。
「どうやったらタマが元気になるのかわからない」と説明したら
いまにも自分が崩れてしまいそうで、説明なんかしたくなかった。
ケンカして、離婚しない程度にガス抜き出来て良かったと思います。
別にだれも悪くないし!
最初からタマが
「このままの体重で大人になります。」とか
「一生吐く病気です。」とか
わかっていれば、
じゃあそれでも人生楽しく生きるにはどうしたらいいんだろう!
何を工夫したらいいんだろう!
って考えを、切り替えられるときがくると思う。
だけどこの5ヶ月、良くなるんだか悪くなるんだか
心臓のことが優先で耳のことはほったらかしになりがち
これだって、心臓のことが落ち着いてから・・・っていつになるの?
とあせる。焦ったってしょうがないんだけれども。
・・・・と愚痴みたいになってきました。
もうやめとこう。
つくづく思うのは、やっぱりだれも悪くないということ。
みんな、精一杯やってこれです。ドクターたちも家族も。
支えてくれる人がいない限り、
病児を抱える家族は崩壊するリスクが高い。
病気って天災と同じようなものだから、誰のせいでもない。
でも病気と共存していくためにはどうしても負荷がかかる。
そんなときに差し伸べてくれる手が多いほど、
生き残っていけるんだと思うなあ。
私は本当にたくさんの人に支えられていると思います。ありがとう
| 病院でのひとこま |
2012年1月11日水曜日
依存症
あらら、気づけば前回の投稿が11月。
あけましておめでとうございます。
ブログもかけぬ間に年が明けてしまいました。今年はもうちょっと自分の心と体のことが書けるよう努力してゆきたいです!
こうしてみると、ブログを書こうかなと思う時って一人でパソコンの前に座れる状況じゃないといけないんだよなあ・・・ちょこちょこアップできている時ってそういう時間が確保できているのだなあと思います。難しいわあ
という訳で、もっぱら最近はツイッタ—でつぶやき、インスタグラムでごはん写真をあげる日々。iPhoneさまさまの生活っぷり。このiPhone依存度の高さは一体?!
ちょっとでも外と繋がっていたい欲求を満たしてくれているのがこれなのか・・・大丈夫か私。ほんとはもっと外に出て、人に会って、笑って、泣いて。そんなことがしたい。(そうはあまり見られないけど)すっごい人見知りで、考え過ぎで、空回りなことが多い自分だけどゆっくり家族以外の人とも話しがしたい。そんなかんじです、今。
あけましておめでとうございます。
ブログもかけぬ間に年が明けてしまいました。今年はもうちょっと自分の心と体のことが書けるよう努力してゆきたいです!
こうしてみると、ブログを書こうかなと思う時って一人でパソコンの前に座れる状況じゃないといけないんだよなあ・・・ちょこちょこアップできている時ってそういう時間が確保できているのだなあと思います。難しいわあ
という訳で、もっぱら最近はツイッタ—でつぶやき、インスタグラムでごはん写真をあげる日々。iPhoneさまさまの生活っぷり。このiPhone依存度の高さは一体?!
ちょっとでも外と繋がっていたい欲求を満たしてくれているのがこれなのか・・・大丈夫か私。ほんとはもっと外に出て、人に会って、笑って、泣いて。そんなことがしたい。(そうはあまり見られないけど)すっごい人見知りで、考え過ぎで、空回りなことが多い自分だけどゆっくり家族以外の人とも話しがしたい。そんなかんじです、今。
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