2012年6月26日火曜日

きょうだい

「きょうだい」という言葉があるというのを知ったのはNHKの番組だった。
障害や病気を持つ人の兄弟を特にそう呼ぶらしい。
うちにはタマがいるから、ウタは「きょうだい」という立場。

親から十分に愛情を受けられなかったと感じて育ったり、
親が亡くなった後その病気や障害を持った兄弟の保護者的な役割を
担わなければならないという重責を自ら背負って育ったりするそうだ。

最近ウタが気を引きたい時に、オエッっと吐くそぶりをみせる。
時には指を自分の口に入れてオエッっとさせている。

タマがずっと吐いていて、私もオットさんもタマが少しでも吐くそぶりを
見せると即座に駆けつけ世話していたのを見てきたからだろう。
今ではタマが吐くそぶりをみせるとウタまで一緒にパタパタと
ガーゼを持ってきて、タマの背中をトントンとさすってくれる。
「オエッ」はウタにとって「私を見て」のサインになっている。

このサインを最初にみた時、私はドキリとして
「そんなことしないの!」と喉に突っ込んだ手を引きぬいて
「苦しいでしょ?悲しいからだめだよ」と話しかけていた。
でも本当はそんなことじゃなくて
ただぎゅっと抱きしめてあげればいいのだ。そうわかった。
「大丈夫、大好きだからね」と言いながら抱きしめた
私自身がウタを感じてホッとしていたから。

「きょうだい」がいると同時に「おや」だっている。
自己中心的な私はそう思う。
平等にかまってやれない環境なんていっぱいある。
そしてそれがつらい「おや」もいる。

いのちはけっこう気ままにやってきて、自由に大きくなるから
大人たちは喜んでそれをみていたらいいんだな。

いつもそう思いながら生活している。
喜んでみてくれる大人たちが沢山いることを祈りながら。






2012年6月3日日曜日

生きる、伝える、つながる、ひろがる


タマが生まれてから「見えない障害」について
考えるようになった。

耳が聞こえないことは説明しないとわからないし
先天性心疾患も胸の傷を見なければわからない。
(今は酸素と経管栄養のチューブでいかにも病気の子っぽいけれど)
だから、オットさんとつねづね話していたのは
たとえば小学生の間にタマが自分の事を
お友達や先生に説明出来るようになってもらいたいということ。
耳が聞こえにくいからこうして欲しい、とか
心臓が弱いからこんなことを助けて欲しい、とか
こんなことならできる、とか。
手話でもいいし、もちろん可能なら音声言語でも構わない
字や文章が書けるようになったら、なおいい。
そして彼女がひとりでできない間は
私たちが伝えることを助けられたらいい。

これってたぶん、すごく難しいこと。
だけどこのブログを読んでくれている誰かが
見えない障害に興味を持ってくれたなら
どうかそんな人に、耳を傾けてみてください。
きっと世界が広がるから