わたし、Twitterで流れている言葉に助けられたことがあって
それは聴覚障害を持った人の言葉だったんだけど
その人が聴覚障害を持って生まれたのは、
お腹にいるときにお母さんが風疹にかかったから。
正確な言葉は忘れてしまったけれど
その人は自分がお腹にいるときに
お母さんが風疹にかかってしまったことについて
負い目を持っていて欲しくないと
つぶやいていた。
母親がそのことについて悲しそうにしていると
自分のせいで彼女を悲しませているのだ
と、自分を否定してしまうから。
こんな身体に産んでしまってごめんね、
と謝られると
こんな自分はだめなのか
と、思ってしまうから。
この言葉に私はハッとして
こんな風にタマを悲しませたくないなと思った。
タマは聴覚障害があって、先天性の心疾患も持って生まれている。
だから落ち込みやすい気持ちの時には、ふと
「私が妊娠中に何かしたから、タマがこうなったのかな」
と思う時がある。
責任の所在を自分にかぶせて
悲劇のヒロインになることは簡単なの。
だけど、
「だから、なに?」
ってところで終わってしまう。
あまりにも非生産的な原因追求だから。
病気や事故や災害は
その人に降ってくる
運命みたいなものだから。
いつかタマに
「なんで私は耳が聞こえないの?」とか
「なんで心臓の病気なの?」って
聞かれたら
「なんでだろうね」
って答えるしかない。
そのことで悩んだり苦しんだりしてたら
そばにいて一緒に悩んだり、苦しんだり
するしかない。
私はそのことについて
許されたいんじゃなくて
タマの幸せな生活を見ていたい。
悩んだり、笑ったり、しているそばにいたい。
そして、いつか私の手を離してくれるのが私の夢。
さみしいけど。
そうしたら、
私の心の片隅にある「負い目」が
ついに、本当にどこかへ消えてなくなるだろう。