2012年10月9日火曜日

人工内耳で音を聞くこと

先日タマが人工内耳の手術をうけたので
自分の肝に命じておきたいことをひとつ書きとめておく。

「聴覚障害者であることに変わりはない」

手術が終わってほぼ3週間。
周りの人から、ときどき
「もう聞こえてるの?」
と尋ねられる。
人工内耳の手術は聴覚神経のある蝸牛というところに
電極を入れるだけのものなので、
外部から電源を用いて電気信号を送り込まないことには
タマの中に音は入ってゆかない。
音を入れるためには外部装置が必要で、
それは見た目で言うと補聴器を装用しているようなかんじ。

先天性の高度難聴だったタマは
あと数日後に初めて、(極めて不完全ではあるけれども)
「音」を感じることになる。

今まで欠落していたであろう
五感が加わるって、どんなかんじなんだろうと
少し不安に思う。
今まで目の前に音無しで流れていた世界が
突然騒々しくなる。

人工内耳で音を聞くと最初は
とにかく周りの音が平等に入ってくるのだという。
虫の声も
車のエンジン音も
パソコンのキーを叩く音も
人の声も
食器がぶつかる音も
やきいも屋さんのアナウンスも
つけっぱなしのテレビの音も
全部。
それって、どんなかんじ?
オーケストラのコンサートが始まる前みたいな感じ?

聴覚障害の子にいつも気になって質問してしまうことがある
「いつ、自分が聞こえないってわかったの?」
今まで聞いた3人とも
「お母さんからおそわった」
と答えてくれた。

彼らにとって聞こえないことは
生まれた時から普通のことで
音がない世界に生きてきてるから
音のある世界に生きてる人から教わらないと
わからないのだなあ、と思って
不思議な気持ちになった。
私はきっとタマに
「音は聞こえてるけど、周りの人とは少し違うんだよ」
と教える必要があるんだな、と思う。

人工内耳の手術を受けた2、3才の子たちは
電池が切れて聞こえなくなったときや
朝起きて、まだ人工内耳を装用していないと
「電池がないよ」とか「人工内耳つけて」
って、伝えてくるみたいなので
音のある世界もまんざら嫌ではないし
きっとその子たちの生活にとって有用なのだな
とは思う。

でも、私の大好きな手話の先生はろうだけど
「今更つけようなんて思わないし、つけたくもない」
とはっきり言っていた。

だから、私たち夫婦がタマに人工内耳の手術を受けさせる
と決めた中には聞こえる世界に生きている私のエゴも入っている
ということ。

3年前に生後3ヶ月で、タマの難聴が発覚して
「ほとんど聞こえていない可能性があります、
このまま聞こえないようなら、いずれ人工内耳という選択肢もありえます。」
と耳鼻科の先生に言われた時
難聴について何の知識もない私は
「へえ、手術うけたら聞こえるようになるんだ」
くらいにしか思わなかった。

だから、一番最初に書いた言葉は
その時の私への戒め。









2012年10月5日金曜日

一日の終わりに

妹が実家に泊まりに来ていた時のこと
もうみんなで寝ようかと、お布団でコロコロしていた。
妹は2才の娘におっぱいをあげながら
「今日もありがとうね、あしたもいっぱいあそぼうね」
と声をかけている。

娘にお礼を言いながら寝かしつけている妹の言葉にじんわりし
「いっつもお礼言ってるん?すごいなあ、それいいなあ」と言うと、
「ちっちゃい時そんなんしてへんかったっけ?」という。

妹はちっちゃいころ、夜中に目が覚めては突然怖くなって両親の寝室に行き、
布団に潜り込み「パパとママ死なんといてな」と言っていたと。
死んだらどうしようとか、いなくなったらどうしようとか
そんなことを想像して、お祈りして寝てたんだって。
今は旦那さんにありがとうって言って眠りにつくんだって。

その話を聞いて、感謝と祈りは似ているんだなあと思った。
一日の終りにありがとう、言おう。