こどもを預けるのが面倒だったりして
あまり、出かけないのだけれど
時々は思い立って、タイミングが合えば
「難聴児を育てる」とかいうような
講演会を聞きに出向いたりする。
そして、大抵、行かなくても良かったかなとか
そういう物足りなさを感じて帰ってくる。
オットさんに「どうだった?」と尋ねられて
説明するも、出てくるのは大抵ぐち、、、、、
こういうの、本当どうにかならないかな。
私だいぶ、世の中斜めにみてるんやろうな。
性格悪いな。
なにがあかんのかな。
きっと、拒絶する何かが自分の中にあるんやろうな。
そんな風に思ってた。
で、ある時、また懲りずに講演会へのこのこと出て行ったのです。
それはろう学校教師を長く務めている方のお話でした。
自己紹介があって
これまで長らく勤めてこられた支援学校やろう学校で
出会った沢山のこどもたちや親御さんのことを話されていた。
支援学校に通わせる親御さんたちには
こんなに沢山の苦労があるんです、こんな幸福もあるんです
お察しします。
そんなエピソードや言葉がつぎつぎ語られて
私はまた「ああ、今日も何も得られない」
こんな上辺だけの(と私が感じているだけですが)ご苦労お察しします。
なんて言葉聞きたくもない。
そんなことはどうでもいいの。
私は心に響く何かを聞きたくてここに来ているのに!
と、心のなかで叫んだ瞬間、
「ですが、長らく関わっていても私は一教師です。
実のところ当事者の苦労のなんたるかも、わかりません。」
そんな言葉が放たれて、
私は胸がすーっとしました。
この言葉を聞いただけでここに来たかいがあった。
そう思いました。
私は物知り顔の先生たちに従って
はいはいとたくさんの事をタマのために頑張ってきてるけど
その不安や不満を、胸の内を打ち明けたことは一度だってない。
先生から聞かれることもない。
きっと興味だってない。
分かってもらえるとも思わない。
そんな風に
なんだか勝手に孤独に頑張っていました。
分かった風な顔をして寄り添われるのが本当に嫌だった。
でも、わからないなりに寄り添いたいんです
できることをしたいんです。
と、言われた途端
「ああ、これからは、たとえわからなくても
私こそ支えてくれる人たちに、もっと伝える努力をしなくちゃな。」
そう思えた。
わたしだって実のところ、誰の苦しみも幸福もわからない。
そうなんだった!
わたしって、ただのあまのじゃく。
いつも素直じゃないから遠回りする。
なんでも素直に受け止められる心を持っていたい。
思ったことを素直に伝えられる人になりたい。
いつも感動してきらきらしていたい。
そう思うけど、しかたない。
わたしはあまのじゃくだから。
0 件のコメント:
コメントを投稿