きっとはじめは小学生の時。
ひどく叱られたり、喧嘩をした後に
「私が死んだらパパやママはどう思うかな。」
って考えたりした。
そして、きっと悲しむに違いないという思いと
そうでもないかもしれないという想像と
いなくなってしまう自分の哀れさに
布団の中で泣いたりしてた。
小さな生き物を飼いたがっては
たくさん死なせていた。
実家の庭にはたくさんお墓がある。
今は花や樹や草に埋もれて、それとはわからないけど。
タマが生まれて数日後、入院中の私に
以前お産をとらせてもらったお母さんからメールがあった。
「息子が亡くなりました。」と。
生まれてから予後の良くない病気だとわかって
小児科で入退院を繰り返していた子。
ときどきお見舞いに行かせてもらって
近い将来いつかは来ると思っていた日。
それはタマの誕生日だった。
知らせてくれて本当に嬉しかった。
そして、なぜなんだろう
子どもが死ぬのはなぜなんだろうと思う。
大学生の時、友人が
浪人中に同い年の中の良かった従兄弟が
亡くなったことを受験が終わってから
両親から知らされた。と話していた。
彼はそれで良かったと。
遠くにいるだけ、と思っている方がずいぶんいい
受験中に知らされたら悲しみに耐えられないと。
私は祖父のお葬式に出なかった。
たぶん出られないから、
生きている間に会いたいと思って
これが最後かなと思いながら
祖父のベッドの横に布団を敷いて
少ない言葉を交わして一晩一緒に過ごした。
生と死ははっきり分かれていなくて
グレーなんだなと思った。
亡くなった時は、お葬式の様子を兄弟たちが
写真やメールで教えてくれて
夜にお産の待機をしていた私は
それを見て、たくさん笑ってそして泣いた。
これで、すっきりしたと思った。
だけど祖父が亡くなって4ヶ月後に
祖父の家に初めて入った時
家主のいないその静けさに
また涙があふれた。
その時、
おじいちゃんが死んだことを
頭ではわかっていても
心では知らなかったんだったと
そう思った。
今は私が死んだら生きていけないよ、とか
冗談でも言ってくれるオットさんに
「大丈夫、絶対死なないわ。またしあわせに生きてね。」
って言う。そして
「オットさんが死んでも、私しあわせに生きていくね。」
って彼に言う。
しあわせに生きてるから、笑ってそう言う。
「死ぬ」っていうことが
もっと身近に、具体的に目の前にぽんと置かれたら。
それはもうほんとにどうしようもなく想像のできないことです。
でもそれはいつも結構ちかくにいて

0 件のコメント:
コメントを投稿