いまも、実家に帰ればときおり礼拝に顔を出す。
そこには私のことを小学生の頃から知っている人達がいて
そこで洗礼も受けたし、大学に行くきっかけももらったし、
結婚式もあげてもらった。
人生の節目節目でたくさんお世話になったくせに
ずいぶん離れて暮らすような不義理を働いているけど
それでも教会に顔を出すと喜んでくれて、話しかけてくれる。
なにを話せばいいかわからないけど世間話や、近況を話して
何かもっと話したい気持ちのまま
「またきます」とそそくさとお別れする。
この関係を面倒だ、とか逃げたい、と思ったこともあったけど
今は離れて暮らしているから、感謝しかない。
あの場所に行くと、ただの世間話をしていても胸がいっぱいになる。
年に1、2回、教会を訪れる度に、
私は不安になったり勇気づけられたりする。
小学生の私を見守ってくれていた働き盛りの大人たちが
その後リタイアし、高齢者になり、病気とともに生きているのを
目の当たりにして。
それはこれから私に訪れる人生そのものだから。
あるときこの教会で話をする機会をもらって
皆の前で説教壇に立ったことがあった。
タイトルは「神さまに迷惑をかけなさい」
自分でつけたくせにあまりに仰々しいタイトルで、
実際のところなにを話したかよく覚えていない。
目の前には人生の大大大先輩しかいないのだ。
ただ胸が一杯になって途中で泣いてしまった。
時間の経過ってこんなに早かっただろうか。
「私はこの歳になってようやく
迷惑をかけながらしか生きられないとわかった時に
とても楽になりました。」と言う話をするはずが
「どうか迷惑をかけながら生きてください
そして、その姿を私に見せてください。
それは私の人生を豊かにしてくれるから。」
というお願いに変わっていた。
話し終わったあと、わたしがこうなりたいと憧れている人が
そばに来てくれて私の手を握り、まっすぐ目を見て、こう言った。
「89歳ほんとに孤独よ。毎週ここに来て生きながらえているの」
いつもガハハとどんな不幸も病気も笑い飛ばしながら
教会の同じ席に座っている、憧れのその人が、そう言った。
涙が止まらなかったし、こんな言葉をかけてもらえるなんて
私は幸せ者だと思った。
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