専門家がこう言う、
2歳までにこの成長曲線にのらなければその後、平均に追いつくのは難しい
3、4歳までに人工内耳で音を入れなければその後の言語獲得が難しくなる
6歳までにきちんと発音できなければその後、聴者のようにスムーズに話すことは困難
こういう期限付きの言葉を聞くたびに
私はあせる。
別にからだが小さくても
言葉が話せなくても
発声が明瞭でなくても
それでいい。
そう思っていても、
そうなったのは
自分がタマになにか与え損なったからではないか
そう思ってしまうから。
それはこれからタマが生きていく上で
すごく不利なのではないか
そう思うから。
聞いた直後はそのことで頭がいっぱいになって
もっといっぱい食べさせるにはどうしたらいいのか
はやく人工内耳をつけられるように主治医の先生に相談しようとか
毎朝発声の練習をしようとか
考えるんです。
でも1日、2日もたつと
無理に食べさせることはお互い不幸だな、食事は楽しくないとな。
人工内耳をつけてなくても意思疎通できてるな。
発声が明瞭でなくても、聞いてくれる人は聞いてくれるな。
とか思い始める。
体の大きさも、話す言葉も、その明瞭さも
結局そういう能力をもった人が求めているものじゃない?
例えば私とか。
きっと、人は似ているところが多いほど
安心してコミュニケーションできるから。
だから、そういうんじゃない?
だったら、私は全然似ていない人と
コミュニケーションできる人になってやろうじゃないの。
と、決心する。
でもきっと、専門家の言うことも真実。
それが、私の尻を叩いて
できるだけタマが食べれるよう
できるだけ早く人工内耳をつけられるよう
できるだけ発声が上手になるよう
自分ができるだけやろうって
落ち着くのです。
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